子どもに自分の感情をのせないということ

こどものこと

なるほどと目から鱗だった言葉です。

経験を積んできた大人が勝手に子どもの気持ちを決めてしまう。制限をかけてしまう。

それってとっても勿体ないこと。

子どもは経験がないぶん、すべての物事をフラットに見ることができる。

それに対して大人は、というか私は自分の基準に従って物事を決めつけてしまうところがある。

登校に徒歩一時間かかる子は可哀そう?

以前に何かのエッセイで田舎へ移住したご家族のお話を読みました。自然に囲まれ緑豊かなその地は、車でも近くのお店まで時間がかかるような土地とのこと。

学校も近くにはなく、片道1時間以上歩いて通学しているそう。

小学生が登下校でそんなに歩くなんて可哀そう。それが読み始めたばかりの私の感想。でもその話の続きを読み進めるうちにすっかり考えが変わってしまいました。

その子のご両親は私みたいに自分の基準なんて押し付けていなくて、そこにあるのは事実のみ。

学校までは片道1時間ある。この事実だけ。

そこには「そんなに歩いて大変そう」だとか、「小さな子に長時間歩かせるなんて可哀そう」なんて感情はナシ。

子どもって純粋でスポンジみたいに色んなことを吸収しちゃうから、大人の余計な感情まで入り込んでしまうと、

「通学で1時間歩くのは大変なことなんだ。」とか、「毎日こんなに歩いて、自分は可哀そうなんだ」とか、そんな風に認識してしまうのかもしれない。

でもその子は淡々と事実を受け止めて、何の疑いもなく毎朝同じ道のりを通って学校に向かう。そしてその道のりで、彼はとても豊かな経験をしていました。

登下校の道中、様々な人たちがその子に声を掛け、顔見知りになった人々と今日の出来事を話したり、収穫した野菜を分けてもらったり、そこには思わず笑顔になってしまうような交流が書かれていました。車で送ってもらえば知り合うこともなかった、会話することもなかった人々とのふれあい。

このエッセイで自分の勝手な基準を、子供に勝手に押し付けないことを学んだ気がしました。

   

小学一年生の長男は今、学校まで20~30分かけて登校しています。私の両親からは遠くて大変だね!なんて言われるけれど、毎日重たいランドセルを背負って逞しく通学しています。近所の同級生たちとニコニコ笑ってふざけながら(交通ルールは守ってもらわないと困るけれど!)歩いていく姿はなんとも微笑ましい。

雨の日はヒヨコ集団のお通りだ!

長男の通う学校では、安全面から小学一年生は傘禁止で黄色いレインコートを使用しています。

ある雨の日の帰宅時間。仕事が押していつもより少し遅くなった日のことです。ちょうど私の乗る車と、子どもたちの下校時間が重なった時のことでした。

そこで目にしたなんとも可愛らしい光景。大きなランドセルを背負ってその上からレインコート

を羽織り、まだまだ小さな体で元気いっぱいに歩いている子ども達。

まるでヒヨコみたい・・・その姿に癒されて仕事の疲れもどこへやら。

車から見えたことは内緒に、知らぬ顔で帰りを待つ私。

あー疲れたー!と言いながら、元気に帰ってきてランドセルをドサッと置くときの表情が何とも言えません。こうやって雨の日も風の日も雪の日も、そこに楽しみを見つけたり、辛さを知って対策したり、その景色を心に刻んだりして大きくなってほしいと思う。今しかできない試練はきっと君たちの糧になる。

心から、おかえり!おつかれさまっ^^

感情を乗せずに見守ろう

そんなわけで、これからも私個人の感想はグッと心に止めて見守ることを大切にしていきます。そして本人の目で見て感じて考えて自分の道を進んでほしいのです。

単なる登下校の道のりからも色々な事を学ばせてもらったのでした。

子どもから学ぶチャンスを奪わぬようにしよう。

意識しないと忘れがちなこと、ここに記すことで忘れないようにしよう。

クリック本当に嬉しいです。ありがとうございます^^

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